加藤喬の司法試験・予備試験対策ブログ

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パターナリスティックな制約である点はどこで論じるべきか

憲法のパターナリスティックな制約に関する質問です。
先の香川県ゲーム条例などを想起した場合、本条例は、保護者にゲームの時間を制限する努力義務を課すことによって、直接的又は間接的に子供のゲーム依存症を防ぐという目的が読み取れると思うのですが、ここでの制約は子供のゲームを行う自由(13条で保障されるかは別として)に対するパターナリスティックな制約であるようにも思えます。自分の不勉強で申し訳ないのですが、パターナリスティックな制約であるという点は、どこで論じるべきなのでしょうか?権利保障の程度が変わるという権利保障段階で論じるのか、それとも、制約の段階で論じるのか、正当化の段階で論じるのか、岐阜県青少年保護育成条例事件の補足意見を想起すべきことは分かるのですが、混乱している次第です。
また、香川県ゲーム条例についての憲法上の問題点について先生なりのコメントもいただけますと幸いです。個人的には、94条違反(自治事務の範囲内に属するか)も問題になるのではとも思っています。

まず、パターナリスティックな制約である点は、合憲ではなく、違憲の方向に評価されます。例えば、高橋和之「立憲主義と日本国憲法」第3版116頁では、「個人を個人として尊重するためには、個人の人権を…本人の重大な利益のために制限する必要」もあるという「パターナリズムといわれる考え方」は、「自由主義の下では原則として忌避される思想である。なぜならば、何が自己にとって利益かは本人が最もよく判断できることであり、他人が「これがあなたの利益だ」といって押し付けることは、自由主義に反すると考えるからである」とあります。

次に、パターナリスティックな制約である点は、違憲審査基準の定立過程ではなく、目的手段審査における目的審査で論じるのが通常です。パターナリズムな考えに基づく目的(本人の利益を図るという目的)は自由主義に反するものとして原則として違憲であるという原則論を示したうえで、例外的に目的の合憲性が認められるかについて論じることになります。因みに、岐阜県青少年保護育成条例事件では、有害図書から青少年の健全な育成を守るというパターナリズムな考えに基づく青少年の知る自由を制限することの憲法適合性を判断する際に、違憲審査の厳格度を下げています。その理由は、パターナリスティックな制約であることではなく、知る自由は情報の選別能力を前提するものであるから、精神的に未熟であるために情報の選別能力が十全ではない青少年については知る自由の保障の程度が下がるということに求められます(伊藤正己裁判官の補足意見参照)。つまり、青少年については知る自由の保障の程度が下がるということを、違憲審査基準の定立過程における基本的な考慮要素である「人権の性質」と「制限の態様」のうち「人権の性質」で考慮しているわけです。

そして、香川県ゲーム条例については、①ゲームをする自由は「幸福追求…権」として憲法13条後段により保障されるか、②努力義務だけで①の権利に対する制約と評価することができるか、③パターナリズムな考えに基づく規制目的は違憲ではないのか(目的審査)、④ゲームが子供にとって有害であるとの因果関係についての立法事実の有無(厳格審査基準又は中間審査基準を採用した場合、手段適合性で問題となる)、⑤努力義務だけで子供をゲームから遠ざける効果があるか(手段適合性)といったことが論点になると思われます。

2021年01月31日
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加藤ゼミナールは、加藤喬講師が代表を務める予備試験・司法試験のオンライン予備校です。

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加藤ゼミナール代表取締役
加藤 喬かとう たかし
加藤ゼミナール代表取締役
弁護士(第二東京弁護士会)
加藤ゼミナール代表
青山学院大学法学部 卒業
慶應義塾大学法科大学院(既修) 卒業
2014年 労働法1位・総合39位で司法試験合格
2021年 7年間の講師活動を経て、「法曹教育の機会均等」の実現と「真の合格実績」の追求を理念として加藤ゼミナールを設立
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