加藤喬の司法試験・予備試験対策ブログ

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詐欺罪と窃盗の区別を論じる際、被欺罔者の現実の行為と認識を考慮して処分行為の有無を判断することになるのか

こんにちは。刑法の詐欺罪についてどうしても分からない点があり、ご指導頂きたいです。
詐欺と窃盗の区別という論点については、欺罔行為の問題に位置づけて、「欺罔行為は処分行為に向けられていなければならない」という要件を書いてから、検討すべきと教わりました。そして、処分行為の検討では、被欺罔者の意思が、占有の終局的移転を容認する意思なのか、占有の弛緩を許容する意思にとどまるかが重要だとされていると思います。
もっとも、「被欺罔者の意思」というのは、欺罔行為の時点では存在しない事情であり、これを欺罔行為の検討過程で問題にすることについては、疑問があります。事後的に、被欺罔者が占有の終局的移転を容認する意思で財物・利益を交付したことにより、実行行為性が遡及的に充足されることを前提にした見解のように思え、強い違和感を覚えます。実行行為性は交付があって始めて認められるものではないと思います。
個人的には、①欺罔行為における、「処分行為に向けられているか」という要件ではあくまで、欺罔者が何を要求したかのみに着目してあてはめをし、実行行為性の判断を終えた上で、②「交付」要件のところで、現実に交付された際の被欺罔者の意思はいかなるものだったかを考慮して占有の終局的移転の有無を当てはめる(窃盗との区別という問題意識は②で示す)、というのが正しいのではないか、と思えますが、このような答案の組み立ては誤り(あるいは誤りではなくてもやめたほうが良い)でしょうか。
教科書等では、詐欺と窃盗の区別は「交付」の有無の問題であるとされますが、答案ではこれを欺罔行為の中で検討するものばかり目にするので大変混乱しています。ご指導頂ければ幸いです。

欺罔行為の要件の1つとして、「欺罔が処分行為に向けられている」(令和1年司法試験設問1の採点実感)ことが必要です。したがって、欺罔が処分行為に向けられていない場合には、欺罔行為(実行行為)がないとして、詐欺未遂罪すら成立しません。そして、ご指摘の通り、「欺罔の後に、被欺罔者が処分行為を行ったか」という欺罔行為後の結果に着目して、「欺罔が処分行為に向けられていたか」を判断するわけではありません。

詐欺罪の成立要件として、処分行為は、2つの要件として登場します。1つ目は、欺罔行為です(「欺いて」に対応します)。2つ目が、既遂要件である「被欺罔者が錯誤に基づき処分行為を行った」(「交付させた」、「得・・た」に対応します)です。「行為の後に、被欺罔者が処分行為を行ったか」という欺罔行為後の結果に着目して判断するのは、2つ目の「被欺罔者が錯誤に基づき処分行為を行った」という既遂要件です。

1つ目では、厳密には、被処分者が現実に何をしたのか(処分行為の客観面)・どう認識したのか(処分行為の主観面)という「現実の行為・認識」ではなく、行為者の行為(欺罔)がその性質上一般的に被処分者に何をさせることになるのか(処分行為の客観面)・どういった認識を抱かせることになるのか(処分行為の主観面)という「行為の性質からみて通常導かれるであろう行為・認識」を基準として判断します。なお、処分行為が客観面と主観面の双方から判断されることについては、髙橋則夫「刑法各論」第3版322~323頁、令和1年司法試験設問1の出題趣旨・採点実感にも書かれています。

例えば、甲が、乙が所有・占有する高級花瓶で詐取するために、代金支払意思がないにもかかわらず「受け取ったら1週間以内に必ず代金を払うから、その花瓶を売ってほしい」と嘘を言ったところ、乙が甲の嘘を見抜いて錯誤に陥らなかっため、売買に応じなかった(したがって、乙が甲に高級花瓶を渡すこともなかった)という事案では、仮に欺罔行為を判断する際に「現実の行為・認識」に着目して判断すると、本来であれば詐欺未遂罪が成立するはずであるにもかかわらず、欺罔行為がないとして詐欺未遂罪の成立が否定されることになります。これでは、おかしいです。既遂要件が実行行為にせり上がってしまっています。他方で、欺罔行為について「行為の性質からみて通常導かれるであろう行為・認識」を基準として判断するのであれば、代金支払意思の存否を偽って売買の申込みをすれば、被欺罔者としては目的物の占有を終局的に移転しようと考え、目的物の占有を終局的に移転するための引渡行為に及ぶはずであるとして、「欺罔が処分行為に向けられていた」から、欺罔行為が認められる、と認定することになります。その上で、実際には処分行為がなかったのだから、既遂要件を満たさず詐欺未遂罪が成立するにとどまると結論付けます。

髙橋則夫「刑法各論」第3版315頁における「欺罔行為は、財物または財産上の利益の処分行為を導くような行為でなければならない。・・欺罔行為の有無を確定するには、処分行為の可能性を一般的に判断して行うことになる」との記述は、「欺罔が処分行為に向けられていたか」について、「現実の行為・認識」ではなく、「行為の性質からみて通常導かれるであろう行為・認識」を基準として判断するという考えを意味していると思われます。

もっとも、「現実の行為・認識」と、「行為の性質からみて通常導かれるであろう行為・認識」とが一致している場合もあります。例えば、上記の売買の事例で、乙が騙されて売買契約に応じ、高級花瓶を甲に引き渡したという場合です。この場合は、両者を区別する実益が乏しいため、「欺罔が処分行為に向けられていたか」について、「現実の行為・認識」を基準として判断しても構わないと思います。令和1年司法試験設問1の出題趣旨・採点実感で、「現実の行為・認識」と「行為の性質からみて通常導かれるであろう行為・認識」とが一致する事案において、「欺罔が処分行為に向けられていたか」について「現実の行為・認識」を基準として判断しているかのような記述になっているのは、そのためです。

2020年10月31日
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加藤ゼミナールは、加藤喬講師が代表を務める予備試験・司法試験のオンライン予備校です。

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加藤ゼミナール代表取締役
加藤 喬かとう たかし
加藤ゼミナール代表取締役
弁護士(第二東京弁護士会)
加藤ゼミナール代表
青山学院大学法学部 卒業
慶應義塾大学法科大学院(既修) 卒業
2014年 労働法1位・総合39位で司法試験合格
2021年 7年間の講師活動を経て、「法曹教育の機会均等」の実現と「真の合格実績」の追求を理念として加藤ゼミナールを設立
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