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立法による作為的な介入により国民の「最低限度の生活」が脅かされる場合における憲法25条違反の論じ方

立法による作為的な介入により国民の「最低限度の生活」が脅かされる場面における、原告主張の展開の仕方について質問がございます。
加藤先生は、総まくり論証集(2020年度版94頁)で、三者間形式を前提として、原告パートでは、生存権が生きる権利そのものであることから「健康で文化的な最低限度の生活」を下回っているかは厳格に判断するとし、ここでいう「厳格に判断する」とは「最低限度の生活」の水準を引き下げる原因となっている反対利益を考慮しないで判断することを意味する、と説明されています。
そうすると、原告パートでは反対利益を一切考慮しないことから、当てはめをするまでもなく、立法による作為的な介入は違憲であるという結論にすることになると思うのですが、当てはめをする余地はあるのでしょうか。
ご回答いただけますと幸いです。
※秒速・総まくり2020では、立法による作為的な介入により国民の「最低限度の生活」が脅かされる場面については、三者間形式に従った論述例を掲載しておりましたが、秒速・総まくり2021では、この場面についても、法律意見書形式に従った論述例に変更致しました(運営者・加藤喬)。

例えば、国が、生活保護世帯が激増したことに伴い、生活保護費拡充を目的として、所得税・社会保険料を大幅に増額したとします。この事実関係を前提として、会社員Xが、1月当たりの可処分所得が21万円から16万円まで減り、これでは「健康で文化的な最低限度の生活」を維持することができないとして、国家賠償請求訴訟を提起して、国家賠償法1条1項の「違法」を基礎づけるため国の立法が生存権の自由権的側面を侵害するとして憲法25条違反を主張した、とします。

「健康で文化的な最低限度の生活」の水準は、「その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等」との関係で決定され、変化し得るという意味で、相対的な概念です。そこで、国側としては、堀木訴訟大法廷判決(最大判昭和57・7・7・百Ⅱ132)を踏まえて、生活保護世帯が激増したということは、「経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等」が悪化していることが窺われるため、日本全体の生活水準が下がっているはずだから、「健康で文化的な最低限度の生活」の水準は1月当たりの可処分所得15万前後まで下がっている、と主張することが想定されます。

他方で、原告Xは、堀木訴訟大法廷判決を無視して、生活保護世帯が激増する前の「経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等」を前提とした「健康で文化的な最低限度の生活」の水準を主張することになります。例えば、1月当たりの実質的な可処分所得は20万円前後必要である、という主張です。

反対利益の考慮の有無という表現だと、分かりにくかったかもしれません。上記の例でいえば、所得税や社会保険料を増額する必要性が生じる前の「経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等」を前提として「健康で文化的な最低限度の生活」の水準を判断するのか、それとも所得税や社会保険料を増額する必要性が生じた時点以降の「経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等」を前提として「健康で文化的な最低限度の生活」の水準を判断するのか、という問題です。

2020年10月07日
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加藤ゼミナールは、加藤喬講師が代表を務める予備試験・司法試験のオンライン予備校です。

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加藤ゼミナール代表取締役
加藤 喬かとう たかし
加藤ゼミナール代表取締役
弁護士(第二東京弁護士会)
加藤ゼミナール代表
青山学院大学法学部 卒業
慶應義塾大学法科大学院(既修) 卒業
2014年 労働法1位・総合39位で司法試験合格
2021年 7年間の講師活動を経て、「法曹教育の機会均等」の実現と「真の合格実績」の追求を理念として加藤ゼミナールを設立
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