事件の概要
「宮本から君へ」助成金不交付事件は、独立行政法人日本芸術文化振興会Yの理事長が、出演者Zについて麻薬取締法違反で執行猶予付きの有罪判決が確定したことを理由に、映画製作会社Xに対してZが出演する映画の制作活動を対象とする助成金を交付しない旨の決定をしたことの違法性が争われた事件です。
最高裁は、原審の判断を覆し、助成金不交付により表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性を根拠として助成金不交付に係るYの理事長の裁量を制限した上で、本件映画の制作活動につき助成金を交付するとZが一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし薬物乱用の防止という公益が害されるということを、消極的な考慮事情として重視することはできないとして、「本件処分は、重視すべきでない事情を重視した結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものである」という理由で裁量権の逸脱・濫用を認めました。
事案・判旨
(事案)
Xは、映画製作会社であり、Yは、独立行政法人日本芸術文化振興会法(以下「振興会法」という。)及び独立行政法人通則法の定めるところにより設立された独立行政法人であり、Yの理事長(以下、単に「理事長」という。)は、「文化芸術振興費補助金による助成金交付要綱」(以下「本件要綱」という。)を定め、振興会法14条1項1号の業務として、文化庁長官から交付される文化芸術振興費補助金を財源に、劇映画の製作活動等を対象とする文化芸術振興費補助金による助成金(以下「本件助成金」という。)を交付している。
Xは、本件映画の製作に着手し、本件映画の製作活動につき、助成金交付要望書を理事長に提出することで、本件助成金の交付の申請をしたところ、理事長は、上記製作活動に係る要望を採択すべき旨の基金運営委員会の答申を受け、上記製作活動を助成対象活動とする交付内定(以下「本件内定」という。)をし、Xに通知した。
その後、本件映画の出演者の一人であるXがコカインを使用したとして逮捕され、麻薬及び向精神薬取締法違反の罪により執行猶予付きの有罪判決(以下「本件有罪判決」という。)を宣告され、本件有罪判決が確定した。
Xは、本件内定に係る助成金交付申請書を理事長に提出したが、理事長は、本件映画には本件有罪判決が確定したXが出演しているので「国の事業による助成金を交付することは、公益性の観点から、適当ではない」として、本件助成金を交付しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。
Xは、Yを被告として、本件処分の取消しを求める訴えを提起した。
(判旨)
「3 原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、本件処分の取消請求を棄却した。
Zは、本件映画のストーリーにおいて重要な役割を果たすなどしていた著名人であるところ、本件有罪判決等が広く報道されたこと、Zが犯したのは重大な薬物犯罪であること、Zが出演していた他の映画等の多くでは代役による再撮影等の対応が採られていたこと等に照らすと、薬物乱用が深刻な社会問題となっている状況の下において、理事長が、本件内定後に本件有罪判決が確定した事実を踏まえ、薬物乱用の防止という公益の観点から本件処分をしたことにつき、重要な事実の基礎を欠いているとか、その判断の内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠いているということはできない。かえって、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すれば、薬物に対する許容的な態度が一般的に広まり、ひいては、Yが行う助成制度への国民の理解を損なうおそれがある。よって、本件処分が理事長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとは認められず、本件処分は適法というべきである。
4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1)本件助成金については、振興会法や補助金等適正化法に具体的な交付の要件等を定める規定がないこと、芸術の創造又は普及を図るための活動に対する援助等により芸術その他の文化の向上に寄与するという本件助成金の趣旨ないしYの目的(振興会法3条)を達成するために限られた財源によって賄われる給付であること、上記の趣旨ないし目的を達成するためにどのような活動を助成の対象とすべきかを適切に判断するには芸術等の実情に通じている必要があること等からすると、その交付に係る判断は、理事長の裁量に委ねられており、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した場合に違法となるものというべきである。
(2)そして、Yは、公共の利益の増進を推進することを目的とする独立行政法人であり(振興会法3条の2、独立行政法人通則法2条2項)、理事長は、本件助成金が法令及び予算で定めるところに従って公正かつ効率的に使用されるように努めなければならないこと(振興会法17条、補助金等適正化法3条)等に照らすと、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動についても、本件助成金を交付すると一般的な公益が害されると認められるときは、そのことを、交付に係る判断において、消極的な事情として考慮することができるものと解される。
もっとも、本件助成金は、公演、展示等の表現行為に係る活動を対象とするものであるところ(振興会法14条1項1号)、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動につき、本件助成金を交付すると当該活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されることを理由とする交付の拒否が広く行われるとすれば、公益がそもそも抽象的な概念であって助成対象活動の選別の基準が不明確にならざるを得ないことから、助成を必要とする者による交付の申請や助成を得ようとする者の表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性がある。このような事態は、本件助成金の趣旨ないしYの目的を害するのみならず、芸術家等の自主性や創造性をも損なうものであり、憲法21条1項による表現の自由の保障の趣旨に照らしても、看過し難いものということができる。そうすると、本件助成金の交付に係る判断において、これを交付するとその対象とする活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視し得るのは、当該公益が重要なものであり、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある場合に限られるものと解するのが相当である。
以上に説示したところは、本件要綱に一般的な公益の考慮に関する定めがあるか否か等によって左右されるものではない。
(3)Yは、Zが出演している本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、Yが「国は薬物犯罪に寛容である」といった誤ったメッセージを発したと受け取られて薬物に対する許容的な態度が一般に広まるおそれが高く、このような事態は、国が行う薬物乱用の防止に向けた取組に逆行するほか、国民の税金を原資とする本件助成金の在り方に対する国民の理解を低下させるおそれがあると主張する。このことからすると、理事長は、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、本件有罪判決が確定したZが一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし、上記のような公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視したものと解することができる。
しかしながら、Zが本件助成金の交付により直接利益を受ける立場にあるとはいえないこと等からすれば、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付したからといって、Yが上記のようなメッセージを発したと受け取られるなどということ自体、Zの知名度や演ずる役の重要性にかかわらず、にわかに想定し難い上、これにより直ちに薬物に対する許容的な態度が一般に広まり薬物を使用する者等が増加するという根拠も見当たらないから、薬物乱用の防止という公益が害される具体的な危険があるとはいい難い。そして、Yのいう本件助成金の在り方に対する国民の理解については、公金が国民の理解の下に使用されることをもって薬物乱用の防止と別個の公益とみる余地があるとしても、このような抽象的な公益が薬物乱用の防止と同様に重要なものであるということはできない。
そうすると、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、Zが一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし上記のような公益が害されるということを、消極的な考慮事情として重視することはできないというべきである。そして、前記事実関係等によれば、理事長は基金運営委員会の答申を受けて本件内定をしており、本件映画の製作活動を助成対象活動とすべきとの判断が芸術的な観点から不合理であるとはいえないところ、ほかに本件助成金を交付することが不合理であるというべき事情もうかがわれないから、本件処分は、重視すべきでない事情を重視した結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものであるということができる。
(4)以上によれば、本件処分は、理事長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法というべきである。
5 以上と異なる原審の前記判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上に説示したところによれば、本件処分の取消請求を認容した第1審判決は正当であるから、被上告人の控訴を棄却すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。」
憲法論として
本判決は、エホバの証人剣道実技受講拒否事件における最高裁判決(最二小平成8.3.8)と同様、行政裁量という枠組みにおいて、憲法上の権利に配慮して判断過程審査の密度を高めることで裁量権の逸脱・濫用による「違法」を認めているにとどまり、助成金不交付決定の憲法適合性については明示的に言及していません。
憲法の論文試験において、同種事案について憲法論として論じる場合には、違憲・合憲の結論を導き出せる憲法論としての判断枠組みを用いて答案を書く必要があります。
本事件は「表現の自由と国家による援助」というテーマにも関わるものですから、憲法論として答案を書く際には、公立図書館の図書廃棄事件(最一小平成17.7.14)と同様、表現の自由(憲法21条1項)は社会権ではなく自由権であるという基本的前提を踏まえて論じる必要があります。同種の問題意識は、県立大学における研究助成金の不交付決定の憲法23条適合性という形で、令和4年司法試験にも出題されています。
なお、本判決は重要な最高裁判例ですから、2024年度版の基礎応用完成テキスト・総まくり論証集で取り上げるとともに、リニューアル版の基礎問題演習講座の問題にも追加する予定です。
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